「脱背理法」のまやかしとウソ

「脱背理法」とは

わざわざここでは説明しない。もしこれを読んでいる貴方が「脱背理法」を知らないのであれば、その状態がきっと幸せなので、無理に知ろうとしない方が良い。


「脱背理法」の主張

大雑把に言うとこんな感じだろうか。「数学の定理は背理法を使わなくても証明できる。背理法を使わない方が分かりやすい。」

どこがウソか

1. 「\(\sqrt{2}\) の無理数性の証明」は「背理法を使わない方が簡単な例」にはなっていない

素因数分解の一意性のような強い定理を使えば証明が簡潔になるのは当然である。

強い定理を使えばそこから従う定理(系)の証明が簡単になるのは数学をやっている者なら今更言うまでもない当たり前の話である。尤も、提唱者は「背理法を使わなかったおかげ」と信じ込みたいのかもしれないが。

2. むしろ「\(\sqrt{2}\) の無理数性の証明」は背理法を使う方が“分かりやすい”のでは?

推論として、「\(a^2\ne b ^2\) だから \(a\ne b\) である」と「\(a=b\) だから \(a^2=b^2\) である」のどちらがより“素直”だろうか。もちろん、この二つの文はお互いに対偶の関係にあって、同値である。しかし、論理的に同じだからといって人間の感覚として同じとは限らない。少なくとも、私にとっては、ノットイコールを使って変形するよりはイコールを使って変形する方が分かりやすく感じられる。

この件について、安部氏の主張をちょっと見てみよう。
http://www.ma.kagu.tus.ac.jp/~abe/sub1-1.html より引用:

より一般に、関数 f につき
「f(x)≠f(y) ならば x≠y」は
「x=y ならば f(x)=f(y)」
と明らかに同値(対偶)です。
 すぐに同値(対偶)な命題を思いつかない人はわざわざ
「f(x)≠f(y) かつ x=y と仮定する。
f が関数であるから f(x)=f(y) が導かれ f(x)≠f(y) と矛盾する。
ゆえに、x=y 」または略して
「x=y と仮定すると、f が関数であることに『反する』ので、x≠y」
という背理法にする傾向があるようです。

背理法依存者の中にはこれをもって、
「対偶の証明には背理法が使われている」
と背理法の必要性を主張する人がいますが、
「対偶の証明には、わざわざ背理法を使っても証明できる」
といっているだけです。

私に言わせれば、安部氏の主張は、論理の推論規則の機微を、「明らかに」「すぐに思いつく」という言葉に、乱暴に押し込んでいるだけだ。臭いものに蓋をしているのだ。

3. ヒルベルト流では背理法がうんぬん

(ここでは「ヒルベルト流」や「自然演繹」の説明はしないので、知らない人は読み飛ばすべし)

ヒルベルト流は、推論規則が(実質的に)modus ponens(\(A\) および \(A\to B\) から \(B\) を推論する)しかない。自然演繹にあるような「仮定の除去」が起こらないので、脱背理法信者にはハッピーなのかもしれない。

だがしかし。人間の思考にとって「自然」なのは自然演繹である[要出典]。なぜわざわざヒルベルト流を引き合いに出すのか。安部氏は、ヒルベルト流の証明を御自分で書いたことがあるだろうか。

4. ほにゃららの定理の証明では背理法を使わない方が簡潔

そりゃ、素直に証明すれば無理に背理法を使う必要がない定理はあるだろう。「どんな定理の証明でも背理法を使わない方が簡潔」ということにはならない。

なぜ「脱背理法」は有害なのか

学術的に意味のない違いをさも意味があるように語るのは教育によろしくないからだ。

確認:「背理法」の定義

私のあやふやな記憶では、高校数学では

  • 「命題 \(P\) を仮定し、矛盾を導くことで、\(\neg P\) (命題Pの否定)を示す」
  • 「命題 \(P\) の否定 \(\neg P\) を仮定し、矛盾を導くことで、命題 \(P\) を示す」

の両方を「背理法」と呼んでいた。

一方、論理学的には、前者は「否定の導入」と呼ばれる推論規則であり、後者はそれに「二重否定除去」または「排中律」を組み合わせたものである。そして、後者の「二重否定除去」や「排中律」を指して「背理法」(または「狭義の背理法」)と呼ぶことが多い(と思う)。

では、「脱背理法」の言う「背理法」は何を指しているのだろうか。どうも、(私の理解が正しければ)「証明の中で『正しくない』主張を使って推論する」ことを嫌っているようである。どちらかというと「高校数学」の定義に近いが、論理学的には意味のない定義である。

よくある誤解: 脱背理法は直観主義論理?/構成的な証明がうんぬん

脱背理法は直観主義論理/構成的証明ではない。なぜなら、脱背理法では否定の導入と「狭義の背理法」を区別せず、また、対偶などの、「狭義の背理法」と同値な主張は認めているからである。というか、教祖提唱者自身が「私は古典論理を採用する」と書いている。

おまけ:論理学の教科書

素人の戯言に耳を貸す暇があったら、論理学のプロが書いた教科書を読みましょう。

たまたま手元にあったものを挙げておく。(紹介が雑だ!)

数理論理学 (現代基礎数学) 初心者向けの教科書だと思う。多分。

論理と計算のしくみ タイトルに「計算の」とあるぐらいだし、計算可能性とかラムダ計算のことも書かれている。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です