修士を取るのに5年かかった話

この3月に東京大学大学院数理科学研究科の修士号を取得しました。大学院に入学したのは2015年4月なので、5年かかりました。

おことわり

私の大学院生活については、ここに書くことが全てではありません。ここには書かない良い話、悪い話など色々あります。リアルで私を知らない人が、この記事を鵜呑みにして「大変だったね」あるいは「甘ったれるな」という風な感想を持つことは推奨しません。

研究について

大学院では幾何学寄りの研究室に入りました。

修士1年の頃は教科書を読んでリー代数の勉強をしていました。複素半単純リー代数の分類とかをやりました。

その後指導教官からサジェスチョンを受けて、論文を読んだりなんやかんやしていましたが、なんとなく「自分のやりたいことはこれじゃない」感を感じるようになりました。単に興味の方向性の問題ではなく、おそらく、その分野に対する自分の予備知識が絶対的に不足していたことも関係していたと思います。

普通の人(ちなみに普通の人は大学院なんて行かないと思います)は修士2年で修士論文を書くのでしょうが、そういう感じなので論文なんてとてもじゃないけど書けませんでした。1年延長です。

しかし、修士3年目も、状況は好転せずに時間だけが過ぎて行きました。具体的に何をやっていたのか、今となってはよく思い出せません。就活に失敗したこともあり、ひたすら辛い時間だったのかもしれません。

修士3年目の冬に指導教官と相談して、分野を変えることにしました。院試を受け直して大学院ごと変える気力は残っていなかったので、同じ研究科の別の先生に指導を仰ぐことにしました。

しかし、この研究科では修士の在学年限は3年です。これ以上は留年できません。そこで、「休学」という手段を使うことになりました。

(休学期間が半期単位であれば休学中の学費は発生しませんが、このケースでは中途半端な時期に休学を決めたため、2017年後期の学費がフルに発生することになりました。)

その新しい先生のところにはしばらく通っていましたが、なんやかんやあって行きづらくなってしまいました。客観的に見れば些細なことがきっかけだったかもしれませんが、私が行きづらくなるのには十分でした。それが2018年春頃のことです。

2018年のその後は、以前ブログに書いたようなことをやっていました。つまり、プログラミングをしたり同人誌を書いたり、という活動です。

当初予定していた休学期間は2018年末まででしたが、どうやら延長できるらしいので延長しました。修論を書く目処はついていませんが、「ただのニート」よりも「(大学に籍が残っているので)論文を読み放題できるニート」の方がマシだと考えてのことです。あとで確認したら休学は最大2年らしいです。

それで2019年も概ねそういうニートみたいな生活をしていたわけですが、秋頃(技術書典8が終わった頃)にもう一度大学に行こうという気になってセミナーにも顔を見せる(復帰?)ようになりました。今度のネタは以前ブログに書いたこれです。ブログに書いたやつを手直しして論文にしようというわけです。

「以前書いたPDFを手直しして論文にする」と言えば簡単そうに見えますが、これがなかなか大変でした。公開したやつを精読していただければわかると思いますが、かなりTODOが残っています。証明も飛ばしているところが多いです。想定読者もプログラミング界隈の人から数学の人に変えなければいけません。

それでも、先生方にご指導いただいて、なんとか修士論文を形にすることができました。執筆終盤はTikZで図式を打ち込む手間を惜しみ、手書きの図式(iPadで描く→画像として取り込む)を多く載せる羽目になりました。

経済面に関して

子供の頃の私は、大人(20代後半?)になれば自活できるものとナイーブに思っていました。現実はまるで違いました。

経済的な問題は精神面をかなり圧迫します。

授業料免除

授業料免除は学部の頃から申請していましたが、学部1、2年の頃は半額免除が通っていたのに対し、学部3年以降は全て「不許可」となりました。

家計状況がそれほど悪いと判断されなかったのか、成績の問題か、作文パートが下手だったのか……。

真相はわかりませんが、成績に関しては後から思うと下手なことをしました(欲張って履修登録→単位を取らずに撤退、ということを結構やっていました)。

どうせ不許可になるのなら申請を出すだけ無駄なので、大学院の2年目以降は申請自体をやめました。私は事務手続きが苦手なタイプです。

アルバイト

私は子供の頃からプログラミングをやっていたので、プログラミングで稼ぐというのは自然な発想です。

学部3年の頃に、「東大生をたくさんアルバイトで採用している」という噂の下北沢の会社に応募しましたが、不採用となりました。アドミニ等のアルバイト等の求人が貼ってあるところから応募しましたが、知人の紹介という形であれば結果は違ったかもしれません。

(この時に得た教訓ですが、面接の結果はいつ知らせてもらえるのか確認しておくべきです。私は1週間程度やきもきして、結局こちらから問い合わせました。当該の会社がサイレントお祈りをする会社なのかは分からずじまいです。)

それ以来、ある種のアルバイト不信のようなものになり(ついでにフェルミ推定も嫌いになり)、学外のアルバイトに自分から積極的に応募することはなくなりました。

一方で、学内のアルバイトはやっていました。具体的には、「システム相談員」つまり、情報教育棟や図書館のパソコンコーナーで待機して利用者の質問(印刷の仕方とかWi-Fiの繋ぎ方とか)に答える係をやっていました。システム相談員は学部の頃から、大学院を休学するまで続けました。

大学院に入ってからはTA(ティーチング・アシスタント)もやりました。こちらは事務に聞いたところ休学中もできるということだったので、大学院の間はずっとやっていました。

先ほど「学外のアルバイトに自分から積極的に応募することはなくなりました」と書きましたが、例外的に、2017年秋ぐらいにツイッターで見かけた案件には応募しました。「Haskell」「言語処理系」「数式処理」などのキーワードが自分にマッチすると思ったからですが、採用には至りませんでした。きっと私よりももっと優秀な人を採用したのでしょう。

「自分から応募」はなくても、「先方から声がかかる」場合は別です。2019年の9月ごろに、初耳の会社から「うちで働かないか」という風なメールが飛んできました。どうやらGitHubから辿ってきたようです。Haskell案件です。最初は警戒しましたが、まともそうな会社だったのでそこでアルバイトすることにしました。

親からの仕送り

親からの仕送りはそれなりにもらっていました。老いた親を働かせて仕送りをもらうのは気がひけるというか、そういう気持ちがありましたが、親との間に色々あってそれをきっかけにそういう罪悪感みたいなものは消失しました。

ですが、親とは大抵は子よりも先に旅立つものです。子である私は最終的には親の仕送りに頼らず暮らせるようにならなければなりません。これは未だ解決できていない問題です。

その他

研究に関してはすでに述べたようにグダグダだったので、研究計画を書いてお金をもらう系のやつは入り口にすら立てませんでした。修論を書いた後ならばそこから先に進むための研究計画も書けるかもしれませんが、何もない状態から研究計画を立てるのは私には無理ですし、私は「与えられた」テーマに取り組めるようなタイプではありませんでした。

就職活動

2017年の春頃(修士2年目の終わりから3年目の始め)に就職活動というやつをやってみました。なんとかナビに登録して、企業説明会に足を運んで、みたいなやつです。

(普通の人(普通とはry)は修士1年目の終わりから就職活動をするのかと思いますが、修論を出せるか怪しい状況で就活なんかしても仕方がないのでその時は就活はしませんでした。)

(さっきも似たようなことを書いたかもしれませんが)私としてはプログラミング能力に高い自信があったので、IT系の就活なら楽勝だろうと思っていましたが、現実は違いました。当初の自信が高いほど、失敗した時の落胆は大きくなります。

結局、5社受けましたが、ほとんど1次面接で落ちました(正確には、うち1社は1次のグループディスカッションは通り、その次の個別面接で落ちました)。5社目に落ちた段階で、このまま続けても精神が壊れるだけだと判断し、就活からは撤退しました。命あっての物種ですからね。

ツイッターにはどっかの大学教授みたいな人が「某政権の経済政策のおかげで就職しやすくなっているんだから若者は某政権を支持して当然」(大意)みたいなことを宣っていましたが、クソ食らえです。その政権の下でも就職できなかった若者はどうすりゃいいんですか。

研究以外でやったこと

先に「ニートみたいな生活」と書きましたが、その間にもやっていたことはあります。

2017年の秋頃から、多項式に関係するアルゴリズムの勉強を始め、「週刊 代数的実数を作る」と称して連載記事みたいなやつを書きました。アレは「初心者が勉強内容をまとめたものをアウトプットする系」のやつです。周囲に詳しい人がいない以上、ネット上の不特定多数に問いかけるしかないのです。

その後、その内容を基に同人誌「代数的数を作る」を出しました。分野に入門したての初心者とはいえ、最低限の体裁は整っていると信じています。(最近ツイッターで「コンパクトの定義が間違っている」人が炎上していましたが、ああいうレベルのミスは含んでいないと信じています。)

同人誌としては、その後「LaTeX処理自動化ツールClutTeX」「Haskellで戦う競技プログラミング」も出しました。

他のアウトプットとして、ソフトウェアもあります。現時点での代表作はClutTeXとなるでしょうか。

もちろん、ブログ記事も色々書きましたし、OSSへの貢献(プルリクなど)も色々やりました。

住居

修士5年目は、住居がらみでもプレッシャーがかかる1年でした。

東京に出てから学部2年までは県人寮に住んでいましたが、通学が辛い(朝は電車の渋滞、昼は乗り換え回数が増える)のと寮の行事等が面倒だったので、学部3年からは大学の近くでアパート暮らしをしました。

すでに退去した後なので場所もぶっちゃけますが、東北沢から笹塚にかけてのエリアに住んでいました。このあたりから駒場キャンパスへはほぼ平坦な道路1本で行けるので、自転車通学を考えている人にはオススメです。

(降雨時の通学手段は別途考える必要があります。東北沢から駒場裏を経由するバス路線として渋55がありますが、本数が30分に1本なのであまり便利ではありません。)

そこそこ気に入っていたアパートだったのですが、修士4年目の終わり頃(2019年春)に「建物が古く、オーナーが取り壊しを考えている」という通知を受けました。そして、1年以内(2020年春まで)に引っ越すことが確定しました(賃貸の契約が定期借家に変わりました)。

(そのアパートは木造で古く、上の階は雨漏りもしていたそうです。また、推測ですがこのタイミングでの取り壊しには「不燃化特区」(指定された区域の古い木造住宅の取り壊し・建て替えを行政が支援するやつ)も関係あるのでしょう。不燃化特区の助成は期間限定なので、それに間に合うようにアパートを取り壊したいと思うのはオーナーなら普通のことでしょう。)

その後も大学に通うのであればさっさと近所に新しいアパートを見つけて引っ越せばよいでしょう。あるいは、就職先が決まっていれば通勤のことも考えて新居の場所を決めれば良いでしょう。

ですが、私はどちらにも該当しません。早まって引っ越してしまうと、就職先が決まった場合に通勤が不便となる可能性があります。なので、退去をギリギリまで遅らせるのが最適となります。

「1年以内に引越す」ことが確定している状態では、迂闊に本棚も買えません。以前から散らかっていた私の部屋にはますます本が散らかることとなりました。

最終的に、次の住居はなんとか決まりました。引っ越しもなんとかなりました。引っ越し先ではアパートの下の階の住人とトラブルを抱えることになりますが、それはまた別の話です。

振り返って/これから

大学院での5年間は、研究面での不振に経済的なプレッシャー、就活の失敗など、総じて辛いものでした。そして、それを終えた今でも明るい光は見えていません。

博士課程には進みません。この5年間で、私が「大学院での研究」というものに決定的に向いていないことが明らかになったからです。

就労するにしても、今の私ではフルタイムで働くことは難しいです。今の自分にどこまでできるのか、見極める必要があります。

疲れました。もともと精神的に疲れていたところに、修論執筆、引っ越しでこの数ヶ月間、120%の力を出してしまいました。休息が必要です。

ただ、休息してどうなる、という話もあります。休息して「回復」するまでには数ヶ月か、あるいは数年必要かもしれません。ひょっとすると回復しないまま中年になってしまうかもしれません。

就労はともかく、当面の小さな目標はいくつか考えています。

数学に関しては、これまでちゃんと理解しないまま通り過ぎてしまった学部レベルの数学をもう一度やり直したいです。学部当時ならわからなくても、今ならすっきりと理解できることは多いはずです。

プログラミングに関しては、自作ライブラリのrounded-hwをリリースすることと、GHCに貢献することを目標にしています。このブログも改修したいです。

そのうち同人誌もまた書きたいです。この情勢の中で即売会がいつ開かれるかは不明ですが、いつかは開かれるはずです。

だらだらと書いてしまいましたが、このへんで筆を置くことにします。読んでいただきありがとうございました。


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