鹿島鉄道(前編)の続き。後編では路線の末端部、玉造町駅〜鉾田駅を見ていく。
後編のスタート地点、玉造町駅。
玉造町駅を出てすぐの踏切…は跡形もなく消滅して綺麗になっている。
起伏の多い土地を進む。
ここの踏切も綺麗になっている。
後半に入って体力が尽きかけたので、榎本駅手前のセイコーマート(セコマは初めての気がする)でパンとコーヒーを買った。
榎本駅……は住宅地に転用されたようだった。写真は榎本駅の近くにあった「百里貯油所」。かつてはここを経由して百里基地へ燃料輸送が行われていたらしいので、その関係の施設跡だろう。現在はエネルギー転換を象徴するように太陽光発電所になっている。
鉾田市に入ると丘の上に広々とした畑が広がっていた。写真はサツマイモだが、他にもジャガイモやゴボウ(?)などの畑が見受けられた。筆者は稲作地帯で育ったので、稲以外の作物が大規模に育てられているのを見るのは新鮮だ。
茨城県が誇る干し芋の原料はこうやって作られているのか、と納得できる光景であった。
借宿前駅。
借宿前駅の線路跡にはヘビイチゴらしき植物が生えていて、その名の通りヘビでもいそうな雰囲気だった。……雰囲気に違わず実際にヘビがいた。
相変わらず丘の上、サツマイモ等の畑の中を進む。が、鉄道は掘割を活用していたようだ。下の写真の谷になっているところが廃線跡:
畑となっている丘は元々は森林だったようで、森との境界には木の切り株が残っていた。開拓の最前線だろうか。都会も農村も太陽光パネルも程度は違えど自然破壊には違いないのである。
巴川駅の手前は舗装路になっていた。
巴川駅。
この辺まで来ると終点が近い。川にかかる橋:
廃線跡は雑草を刈る者もいないのか、草や木が生い茂り、緑の壁のようになっている。
坂戸駅付近。
石岡駅から25km、坂戸駅。集落の裏手の森のようなところだった。
ログハウス風の待合室である。
鉾田市の市街地に近づいていく。高速道路(東関東道)の工事現場に出くわした。
陸橋から廃線跡を見下ろそうとしたところ、雉のつがいを見かけた。雉のオスを単独で見かけることは時々あるが、つがいで見かけるのは筆者にとって珍しい。
いよいよ終点、鉾田駅が近づいてくる。関東鉄道所有地。
終点・鉾田駅跡はバスターミナルとなっている。
プラットフォームが残されている。
ホーム跡には桑の木が生えており、実が散乱していた。
鹿島鉄道はここで終わりだが、筆者はここから鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで行って帰宅する。鹿島臨海鉄道の新鉾田駅は市街地を挟んだ反対側にある、高架駅である。
鉾田ガイドマップ。農産物が売りらしい。
鉄の意思。鹿島の工業地帯の貨物線もいつか見に行きたいなあと思っている。
運賃表。
新鉾田駅から水戸方面は始発列車があり、上りの方が若干本数が多い。
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は比較的新しい路線であり、道路とは基本的に立体交差している。非電化単線のローカル線だが線形が良く、最高で90km/h程度は出る。
ホームで上をよく見るとガルパンのキャラがいた。
まとめ
鹿島鉄道は廃止になったのが比較的新しい(今世紀)ためか、遺構が比較的残っていた。踏切部分のレールや無人駅のホームと待合室、それに川にかかる橋など。収穫は割と大きかったと思う。
鉄道面以外では、レンコン田やサツマイモ畑など、地域の特色を自分の目で見ることができた。
鹿島鉄道が廃止になったのは2007年で、筆者が子供の頃である。ということは原理的には筆者は廃止前に乗りに行くことはできたわけだ。しかし当時の筆者は鉄道に特別の関心を抱くわけでもない普通の子供で、わざわざ他地域の鉄道に乗り鉄しに行くことはあり得なかった。自分が生まれる前に廃止になった路線ならまだ諦めもつくが、生まれた後に廃止になった路線についてはなんとも言えない感情が湧いてくる。
廃線巡りは時々しているので、気が向けばまた記事にしたい。
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