廃線跡探訪:鹿島鉄道(前編)

茨城県石岡〜鉾田を結んでいた鹿島鉄道の廃線跡を自転車で巡ってきた。2021年6月上旬に訪れた。

常磐線石岡駅からスタート。

橋上駅舎からバスターミナルを見下ろす。現在バスターミナルとなっている部分がかつての鹿島鉄道の駅だったのだろう。

バスターミナルには、「鹿島鉄道、かしてつバスの歴史」と題された案内板が立っていた。

輪行袋に入れた自転車を組み立てる。

石岡駅を出発し、駅の南側の踏切にて。バス専用道は一般車が入れないようにバーで塞がれている。

石岡駅を振り返ったところ。こちらもバーで塞がれている。

近くの陸橋からバス専用道を見下ろすことができた。バスの行き違いができるように待避所が設けられているのがわかる。

住宅街の中を走り、石岡南台駅に辿り着いた。

ホーム跡と思しき構造物が残っている。かしてつバスはバス停の名前が「〜駅」なのが特徴である。

住宅街を抜けて、東田中駅。

この区間は毎時2本程度のバスが走っており、利便性は悪くなさそうだ。鉄道時代にはなかったバス停も設置されている。

紫陽花が咲いている。

玉里駅。東屋が設置されている。

新高浜駅入口。

新高浜駅。

新木ノ内駅。バス転換以後に新設されたバス停も「駅」と呼ぶらしい。

四箇村しかむら駅。バス専用道はここまでで、ここからはバスは一般道を進み、廃線跡は草と鉄の匂いを濃くしていく。

四箇村駅から先の廃線跡は草ぼうぼうの荒地というのがふさわしい。

写真を撮っていると、かしてつバスが現れた。

石岡駅から玉造町駅までは概ね国道355号と並走しているが、国道から廃線跡が見えるわけでもなし、廃線跡を見るには脇道に出なくてはいけない。

そうして出会った廃線跡。周囲より高い位置を走っていたようだ。

ここで初めて廃線の【レール】と出会った。ここで見つけたのは2本だけである。おそらく踏切部分のレールだけが撤去されずに残っていたのが、ついに踏切跡自体も撤去されることになりレールが退かされたのだろう。

廃線跡は荒地のようである。

「この先の踏切は幅員が狭く危険です こちら側👉の道路に迂回してください 玉里村」

幅員が狭い方の踏切跡。

踏切跡。こちらはレールが残っている。鉄分たっぷり!

廃マクラギだろうか。

廃線跡。

舗装路に変わる。

霞ヶ浦にほど近いこのあたりはレンコンの生産が盛んらしく、レンコン田らしきものが見られた。

常陸小川駅。バスターミナルとして整備されているようだ。

休憩していると石岡行きのバスがやってきた。かしてつバスは「か」を横に引き伸ばしたようなマークが目印だ。

しばらく進むと、川にかかる廃橋に出会った。

小川高校下駅。駅のホームにペイントされていたのは「未来へ走れ!鹿島鉄道」だろうか。

この駅の近くの小川南病院には、かつて鹿島鉄道を走っていた車両、キハ432が保存されている。塗装もしっかり施されていて、良好な状態のようだ。下の写真の左側に写っている:

この車両は元々(筆者の故郷である)富山県の加越能鉄道加越線で走っていたもので、1972年に加越線が廃止になったときに茨城県の鹿島鉄道に譲渡されたものだそうだ。筆者の地元を走っていた車両に会いにいく、それが今回の探訪の一つの目的であった。

ただ、設置場所が生活感の強い私有地だったので、あまり近くでパシャパシャ写真を撮るのは憚られた。また、施設の人に頼んで堂々と…という手段を取るには筆者は臆病すぎた。なのでここでは近くからの写真は載せない。

廃線跡の続きに戻ろう。

線路跡は段々と霞ヶ浦に近づいていく。

この辺で行方なめがた市に入る。行方市は南北に長いようで、グーグルマップ等で見た感じではもっと南の方にある印象を受けたのに霞ヶ浦の北であるここで足を踏み入れることになるとは意外だった(これもきっと平成の大合併ってやつのせいなんだ)。

行方市に入ったところにある古墳:

霞ヶ浦の湖岸に出た。

霞ヶ浦の湖岸を一周するようにサイクリングロードが設定されており、所々ルートを示すペイントが見られた。

北西には双耳峰、筑波山が見える。

廃線跡も霞ヶ浦の脇を通る。

桃浦駅。信号とホームが残っている。太陽光パネルが設置されている。

後で知ったのだが、桃浦駅の正面はこの反対側(霞ヶ浦から遠い方)だった。失敗した。

用水でカルガモの親子を見かけた。最初に見えたのはヒナ1羽だけで、用水を寂しそうにピイピイ鳴きつつ泳いでいたが、そのうち親と兄弟たちが茂みの中から出てきたので安心した。

この辺で霞ヶ浦から離れる。最後に振り返って筑波山を望む。

八木蒔駅。この区間は集落から離れた森の中を通っており、夏の怪談にでも出てきそうな雰囲気だった。

浜駅。……のあったところは太陽光発電所と化していた。あと100年もあれば太陽光発電所も情緒を獲得するだろう。

バスの本数はこのあたりまで来ると1〜3時間に1本程度のようだ。

陸橋の上から廃線跡を見下ろす。

ドライバー向けのオアシス……だったもの。

川を渡る橋。コンクリート製の立派なものだ。

玉造駅。鉄道時代は「玉造町駅」だったらしい。

かつての「町の中心駅」の駅前に相応しく、敷地は広い。公衆トイレも設置されている。行方市営バスもやってくる。

「鹿島鉄道(株)」と読める看板。

鉄道周辺には廃レールを活用した構造物が見られることがある。

「かしてつ応援団 玉造中学校」

鹿島鉄道はきっと「地元の人々に愛された鉄道」だったのだろう。小川高校下駅のペイントもきっと「盛り上げる活動」の一環だったのだろう。その努力も虚しく、鹿島鉄道は2007年に廃止されてしまった。

鹿島鉄道は石岡駅から玉造町駅まで霞ヶ浦の北岸をなぞるように南下してきたが、玉造町駅を転換点として太平洋側の鉾田を目指す(路線名の「鹿島」にはついに到達しなかった)。

この記事も長くなってきたのでこの辺で分割したい。後編に続く。


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