今年の秋は安達太良山(福島県)や八溝山(茨城県・福島県)に登ったが、いまいち満足できなかった。シーズンが終わる前にもう一個くらいガッツリした山に登りたい。
ということで、前から気になっていた皇海山(栃木と群馬の県境、渡良瀬川源流、足尾の主)に行くことにした。皇海山は日本百名山だが、コースタイムがかなり長い(最寄りの山小屋から山頂まで往復10時間)上に山頂の展望はない、マニアックな山という印象である。
数年前までは群馬側の林道を使って日帰りでも行けたようだが、その林道は通行不可になり、今は(バリエーションルートを除けば)事実上栃木側からの「クラシックルート」一択である。それも登山地図には一部が破線で表示されている。
皇海山は栃木県の山のグレーディングでは最難関(D;グレーディングの技術的難易度としてはAからEまでがある)とされている。地図に登山道が載らない錫ヶ岳よりも高難易度とはどういうことなのか……。
日本百名山全体を見ても皇海山は割と(体力的に)難易度の高い方なのではないかと思う。コースタイムが10時間以上なのは他に平ヶ岳(コースタイムが12時間で、山中に宿泊できない)が思いつく。
計画
計画したルートは庚申山から峰々を越えて鋸岳を経由し皇海山に辿り着く、王道のクラシックルートである。帰りは六林班峠を経由してトラバース道を歩く。他の選択肢としては「帰りも稜線を歩く」「行きもトラバース道を歩く」くらいだろう。
山域内の宿泊施設は、庚申山荘だけである。庚申山荘に2泊すれば間の日の行動時間が10時間に抑えられ、そうでなければ庚申山荘までの行きか帰りの分もその日の行動時間にプラスされる。
ヤマレコとかを見ると登山口から皇海山まで日帰りで登る猛者もいるようだが、私はそこまでタイムを縮めることはできないので、安全のために庚申山荘に2泊できるようにしたい。有給は使いたくないので、11月の3連休を狙うことになる(計画を構想した時点ではすでに10月の3連休は終わっていた)。
駅から登山口である銀山平まではバスはない。駅から歩くか、タクシーか、それともレンタカーを借りるかだが、一人で行くことを考えると歩いてしまうのがコスパが良いように思われた。自転車を使うことも考えたが、下りはともかく登り坂では自転車は使いづらいと思い、断念した。
なので、計画は
- わたらせ渓谷鉄道の原向駅から登山口・銀山平まで歩く→銀山平から庚申山荘まで登り、宿泊する
- 庚申山荘に大きな荷物をデポし、皇海山にアタック、山荘に戻る
- 体力に余裕があればその日のうちに下山する
- 体力的に厳しければ山荘にもう一泊して翌日下山する
という感じになる。
庚申山荘は基本的に無人、ハイシーズンは管理人がいるという感じらしい。寝具はあるが、一応シュラフは持っていくことにする。食事はもちろんないので食料と炊事道具も持っていく。
1日目
わたらせ渓谷鉄道は割と人が多く乗っていた。さすが紅葉シーズンか。途中の神戸駅では3分間の停車時間の間に車内販売のスタッフ達が乗り込んできて弁当やアイスを売っていた。
原向駅では私の他にもう一人、登山者が降りた。彼も皇海山に行くのだろうか。私がトイレを済ませている間に彼は先に出発して行った。
途中の集落で野生の猿を見かけた。
道中、何ヶ所か平たい空き地を見かけた。私はこういうのを見ると「幕営地になりそう」とか考えてしまう。そのうちに、これらの空き地はかつてこの地にあった鉱山関連の施設や人家の跡なのだと気づいた。
時々、鉱山跡の説明をする看板が立っている。かつてはここに多くの人々の生活があったのだろうが、今では携帯の電波も届かない無人の土地だ。
やがて銀山平に辿り着く。ここにはキャンプ場と、国民宿舎かじか荘、それにもう一件温泉がある。キャンプ場のトイレで用を足し、かじか荘で庚申山荘の料金を支払う。登山届はオンラインで提出済みだが、ここでも紙に(最低限の内容を)書かされた。
車両通行止めのゲートを抜けてしばらくは舗装路だった。やがて舗装路は未舗装路に変わり、そのうちにガードレールもなくなり、道路としてのグレードが落ちていくのを感じた。この道路はどういう意図で建設されたのだろう。
一般車通行止めとは言っても、山小屋の関係者は入れるようで、途中にタイヤの跡があった。実際、下山時には車道終点に車が停まっているのを見かけた。
そのうち車道の終点、一の鳥居と庚申七滝に到着。チラッと滝を見つつ休憩し、本格的な登山道を登り始める。
登山道には定期的に「何丁目」と彫られた石が立っている。江戸時代に整備されたらしい。一部は石の現物が存在せず、印刷物が代行していた。
途中には鏡岩、夫婦岩、仁王門などのスポットがある。
そんなこんなで庚申山荘に到着。事前に調べた通りの姿をしている。小屋の裏に道はないので、みんな正面からの写真をネットに上げるのだ。
到着した時点ではすでに結構な登山者が居り、宿泊スペースも半分以上埋まっていた。宿泊スペースは一階に2部屋と、二階の全体が割り当てられていた。
トイレは屋外にあった。バイオトイレらしいが、撹拌に使うエンジンが故障しているらしい。まあでも使えるようだ。
まずスペースを確保し、布団を敷く。疲れたのでしばらく横になった。
山荘に備え付けの布団があるとはいえ、他の登山客も「布団の上に持参したシュラフ」というスタイルの人が多そうだった。考えることは同じか。
そのうち起き出して夕食を作ることにする。外の机で調理しているグループもいたが、そこはもう埋まっていたので屋内の調理スペースっぽいところで準備する。今夜は賞味期限切れのインスタントリゾットだ。お湯だけで作れる。
その後は暇なので持ってきた本を読んだりしていた(携帯電話の電波は入らない)が、翌朝も早いので、18時前には就寝した。
とはいえ、最近の私は山でなかなか熟睡できない。それでも目を閉じて休もうとする。雨具の袋を枕代わりにしているのが良くないのかと思って小屋の枕を拝借してみるが、やっぱり熟睡できなかった。
夜中トイレに起きると、星が綺麗だった。明るく輝くのは木星らしい(スマホアプリで調べた)。久しぶりに星空を見た気がする。今回は一眼レフや三脚は持ってこなかったので写真は撮れない。
2日目
この日は(2泊せず)下界に降りる可能性も考慮して、午前4時に行動開始したい。テント泊なら目標の2時間前起床に設定するところだが、今回はテントを片付ける必要がないので午前3時起床とした。アラームは一応設定したが、ゆっくり眠れなかったのでアラームに頼らずに起きた。アラームを鳴らしていたら他の人の迷惑になっただろうか。
早い人は午前2時台に準備を始めているようだった。
朝食は棒ラーメンだ。2食入りの1食だけを作る。
シュラフや炊事道具などの荷物をデポし、トイレを済ませて、午前4時12分に行動開始。
外はまだ暗い。薄明もまだではなかろうか。木星は西に傾き、東の空には明けの明星が昇っている。
暗い中、ヘッドライトを頼りに行動する。とはいえ、私のヘッドライトは他の人と比べても明るい方ではない。もっぱら、登山道沿いの木に取り付けられている反射板が頼りだ。あと、この時期の登山道から外れた地面は踏むと落ち葉の音がカサカサする。
他にも行動している登山者はいたので、その光を追いかけていけば道の大まかな方向はわかる。
一ヶ所、登山道が大きな岩に向かって途絶えたように見えたところがあった。辺りを探索するが、踏み跡という感じはしない。スマホのライトも使うが、いまいちわからない。このまま夜明けを待つことになるのか?その前に他の登山者が通るか?闇の中の登山で単独だと心細い。
結局、大きな岩に沿って登山道があることがわかって前進することができた。明るい時に来ればもっとスムーズに進めただろう。
そのうち、前を歩くパーティーに追いついて(彼らのライトは私のものよりも遥かに明るかった)、その前を行かせてもらった。自分一人ではルートが心許ないので、内心、彼らの後を歩きたい気持ちはあったが……。再び一人になった。
庚申山には最短で登るルートの他にお岩巡りコースもある。珍しい食虫植物が生えていたり、南総里見八犬伝の舞台になった場所があるらしい。どうせ暗くてはわからないので、さっさと進む。
やがて、庚申山の山頂にたどり着いた。山頂は樹林帯の中で、展望はない。適宜スマホで現在地を確認しなかったら見落としたかもしれない。こんな地味な山頂の山が信仰の対象だったのか?まあ巨岩は面白いし、山頂ももう少し進めば展望地があるけどさ……。
5時20分、庚申山の展望地に到着。眼前に鋸岳と皇海山が現れた。あれが今日の目的地。ネットやカシミール3Dで予習しておいた百名山の姿だ。星空の下、ここまで歩いてきたのだ。この時は薄明の中、まだ星が輝いていた。
展望地で佇んでいると、後ろのパーティーに追いつかれた。彼らは庚申山の山頂には気づかなかったらしい。今更夜明けを待っても仕方がないので、私が先に出発することになる。
ここからはいくつもの小ピークを踏破していく。小ピークにもいちいち名前がついている。
5時36分、御岳山に到着。この時にはもう星は見えなくなっていた。
5時56分、駒掛山。6時14分、地蔵岳。
木の根を乗り越え、笹原を歩いていく。6時22分、太陽が昇ってきた。
6時32分、薬師岳。この区間は破線ルートだからどんなものかと思って身構えていたが、あっさりここまで来れてしまった。ここもさっさと通過しようと思ったが、違和感を感じた。道が続いていない。明らかに踏まれていない感じで、斜面も急だ。スマホを確認すると、登山道が続いているのとは別の方向に降りていた。これはいけないと山頂へ引き返す。私の後に別の登山者が続いて来ていたので、その人にも道の間違いを伝える。
無事に登山道に戻って、6時45分、白山。6時55分、蔵王岳。そして7時13分、熊野岳。
熊野岳から鋸岳は岩場だ。垂直に近いように見える崖を、チェーンやロープを頼りに(どのくらい頼りになるのかはわからないので頼りすぎないようにしつつ)降りて、登っていく。例の「天に昇るハシゴ」もあった。
まあ、何回も通りたくはないルートということだ。それでも登山者はみんなどうにかこうにか通過していくので、不思議なものだ。
7時23分、鋸岳に到着。ここは展望がある。日光白根、日光男体山、上州武尊、谷川岳、赤城山などが見える。そしてもちろん、これから向かう皇海山だ。皇海山の山頂は展望がないのでここで展望を楽しんでおかなくてはならない。
群馬側は紅葉が綺麗だ。栃木側、足尾の山は昔は禿山になっていたのだろうか。まだ樹木が薄い気がする。
そういえばこの辺で携帯の電波が入った。妻に連絡を取る。ペースが順調なので今日中には下山できるだろうとの見通しを伝える。
不動沢のコルへ下り、また登り返す。皇海山への最後の登りはひたすら木の根を踏んでいくという感じだ。特別な岩場などない。地味な登山だ。
かつて群馬側から登った人の中には不動沢のコル〜皇海山だけを歩いて「百名山と言えどこんなものか」と思った人もいたかもしれない。群馬側から登る場合でも鋸岳にも足を伸ばせばもう少し楽しい登山になっただろう……などと、今は使えなくなった登山ルートに想いを馳せる。
青銅の剣が見えたら山頂は近い。気分を高揚させて、いざ山頂へ。山頂には、「渡良瀬川水源碑」があった。まあ予習して知ってたんだけどね。他の登山者に写真を撮ってもらう。
そう、皇海山は百名山の中でも地味でハードルが高い山だと思っていたので、秋の連休とはいえここまで登山者で賑わっているとは思わなかった。私が滞在した時は山頂に5、6人いたと思う。百名山に選ばれた以上人気が出るのは宿命なのか。
山頂に着いたのが8時32分。この日のうちに下山するなら山頂は9時15分ごろには出発したいと思っていたので、上々のタイムだ。とはいえ、展望はないのだし、時間の余裕は多いに越したことはないので、8時47分に山頂を出発する。
10時ごろ、鋸岳に戻ってくる。この日最後の展望地かもしれないので、もう少し展望を楽しむことにする。他の登山者に「写真を撮りましょうか」と声をかけていただいたので、せっかくなのでここでも撮ってもらった。
ここからは、笹藪で噂の六林班峠ルートだ。最初は足元くらいの高さの笹原を下り、そのうち笹の丈が上がってきたりする。他の人のレポートを見ると笹藪がひどいみたいな話だったが、整備(刈り払い)されたのか、そこまでひどいとは思わなかった。まあ私が日光白根山下山時の笹地獄を体験済みだったからかもしれないが。
ただ、下りになると私のペースは落ちるようで、いくつものパーティーに道を譲った。
11時、六林班峠に到着。休憩。ここからの長いトラバースに備えて気合いを入れる。
そして、長いトラバース(山の斜面の横断)が始まった。まあ笹はそこまででもない。ただ、ひたすら長く、地味なのだ。さりとて油断はできない。バランスを崩したら谷底に転落するだろう(一応ヘルメットは着用しているが、行動不能になりたくはない)。その上、私の膝の疲労が溜まってきており、サクサク歩けない。またいくつものパーティーに道を譲った。
後半は20分ごとに休憩するような有様で、終盤の「天下の見晴」の分岐にたどり着く頃にはとても寄り道をする余裕は(時間的にも、体力的にも)残されていなかった。そんなわけで「天下の見晴」がどのようなものだったのは私は知ることなく皇海山を後にした。
それでもなんとか13時42分に庚申山荘に帰還した。管理人らしき人が掃除やトイレの整備をしているようだった。
膝が辛いが、計画段階で「14時までに庚申山荘を出発すればその日のうちに自宅へ帰還できる」と考えていたのと、妻に伝えた「今日中に下山する」という見通しを修正する手段がない(圏外)ので、このまま下山することにした。
しかし、甘かった。膝の疲労は予想以上に酷く、登山道のステップが辛い。平地なら問題なく歩けるだろうが、段差があると辛い。一の鳥居までのコースタイムは1時間程度だが、20分経って休憩した時点ではまだ1/6程度しか進んでいなかった。単純計算でコースタイムの倍かかることになる。
まずい。このままでは下界に降りても自宅への終電に間に合わない。大人しく庚申山荘でもう一泊して膝を休めるべきだったか。それとも、登山口から駅までタクシーを使えばギリギリ間に合うだろうか。
不安になりながらも、歩き方を工夫したりして、なんとか歩みを進める。一の鳥居に着いたのは15時19分で、結局コースタイムの倍かかるようなことはなかった。そこからは車も通れる平坦な道なので、膝への負担も小さくなる。
歩きながら今後のことを考える。かじか荘で登山届を出した時に、「下山時に報告してほしい」ということを言われた。その時は見込み時間として16時と伝えたが、まあ16時台には到着するだろう。駅まで歩く計画だったが、どっちみち疲れ果ててしまったので、かじか荘でタクシーの電番を聞こう(計画書を作るときにタクシーの番号も調べておくべきだった)。そしてタクシーで駅まで送ってもらおう。金額がいくらかかるかなんて知らん(後から調べたが、多分3000円前後+迎車料金だろう)。
16時22分、かじか荘に到着。名前を伝えて下山報告とする。タクシーの電話番号も教えてもらった。……しかし!タクシーの電話番号にかけても繋がらないのである!一時的なものかと思って何回も掛け直したが、繋がらない。足尾はタクシー不毛の地になってしまったのか?他のエリアからタクシーを呼んだらいくらかかるかわからない。
この時の選択肢はいくつか考えられる:
- 徒歩で駅まで歩く→足が辛い。自宅への最終列車に間に合わないかもしれない(それでも街ならビジホとかがあるので山の中で過ごすよりはマシかもしれないが)
- 国民宿舎とか温泉宿に泊めてもらう→できるのか?部屋の空きがないとダメそう。
- ヒッチハイクする→コミュ力の低い私のような人間にできるのか?
- キャンプ場に泊まる→バンガローか持ち込みテントか。バンガローは一人で使うには割高だ。テントは……一応ツェルトがある。ストックがないので自立はしないが、キャンプ場に生えている木の間に紐で吊るせばいけるだろう。
この中で一番(私にとって)容易でコスパが良さそうだと判断したのは、「ツェルトでキャンプ場に泊まる」だった。妻は私がツェルト泊するのは心配そうだったが、私はなんとかなるだろうと判断した。そもそもツェルトは泊まるための道具だ。これまでその用途には使ったことはなかったが。
キャンプの受付もかじか荘だ。さっきタクシーの番号を聞いた登山者が今度はキャンプの受付に来た。受付の人と「タクシーは……」「電話が繋がりませんでした」という会話をして、キャンプ料金、1950円を払う。庚申山荘に泊まるよりは若干安い。
キャンプ場のフリーサイトの木の間にツェルトを吊るす。銀マットを敷き、シュラフを広げ、荷物を入れる。外の風は多少入ってくるが、雨は降らないだろうし、問題なさそうだ。
夕食は棒ラーメンの残りだ。疲れのせいか、粉末スープを入れずに一口目を食べてしまい、異変に気付いた。
他のキャンパーは立派なテントの前で焚き火をしている。簡易テントで最低限のキャンプをする自分と比べると、正直羨ましい。まあ登山もキャンプも人それぞれなので、比べる必要もないのだが。それでも比べたくなったら、彼らは皇海山の山頂には立っていないと考えれば良い。
庚申山荘に2泊せず、登山口まで降りてきて良かったことはあるか。妻と連絡が取れるのは良かった。トイレの便座が暖かいのも良かった。そのぐらいか。キャンプ場にはコインシャワーがあるが使わなかった。かじか荘のお風呂は昼間しか使えない(最終受付14時半)。
この日は疲れのせいか、狭いツェルト内にも関わらず昨日よりも寝られた気がする。
3日目
この日は急ぐ必要はない。6時ごろ、起床。朝食はアルファ米だ。よくあるアルファ米は私には量が多い傾向があると思っていたが、赤飯は食べやすかった。
駅まではタクシーでも徒歩でも良かったのだが、7時過ぎ、念の為タクシーに電話をかけてみる。やはり昨日と同じく、繋がらない。仕方ない、歩こう。
7時40分、キャンプ場を出発。電波の通じない舗装路をひたすら歩く。8時55分に原向駅に到着。コースタイムよりも若干短い。YAMAPやヤマレコ(アプリ)の記録を昨日の時点で止めてしまっていたのが惜しい。
あとは、わたらせ渓谷鉄道に乗って関東平野に出て、自宅へ帰る。お疲れ様でした。
まとめ
皇海山は(クラシックルートから行けば)展望地も岩場もあり、良い山だと思う。しかし笹原トラバースが辛かったので今後10年は登りたくない。
ツェルトは下界でも役に立つことがわかった。ツェルトを買ったのは10年以上前だったが、ツェルト泊をするのは今回が初めてだった。
原向駅〜銀山平は自転車でも良かったかもしれない。どうかな。少なくとも、下りで足を使わなくていいのは良いと思う。
下りで膝が辛くなるのは何らかの対策を講じた方が良さそうだ。ストックがあれば負荷が減るのか、あるいはテーピングやサポーター等を使うのが良いのか。
全体としては、このシーズンの締めくくりに相応しい歯応えのある登山だった。