登山は、人生と同じく、始まりと終わりのある物語である。
普段はこのブログには学術的、技術的なことを書くことが多いが、今回は趣向を変えて、登山について書くことにする(行ったのは8月)。
計画
山に、行きたい。今年に入ってからまだまともに登山していない。去年せっかく買った1人用テントが泣いている(このテントの元を取るには最低10泊以上使う必要がある計算であるが、この時点でまだ3泊しかしていない)。
まず、どこに行くか。北アルプス?今現在北アルプスで行きたいと思っているコースは3泊4日以上あって大変だし、先日富山の実家に帰省したばっかりなのにまた戻るのはだるい。南アルプス?南アルプスの主だった山は全て登頂済みだ。まだ登ったことのない山、まだ行ったことのない山域に行きたい。
八ヶ岳。八ヶ岳は、メジャーな山域な割に筆者はまだ行ったことがなく(!)、標高2800mを超える高山で、東京からのアクセスも割と良い。八ヶ岳に行こう。
どういう日程で、どういうルートを行くか。八ヶ岳はいくつかの峰(「八」は「8つ」よりは単に「たくさん」という意味と解釈すべきだろう)からなる連峰で、その最高峰は標高2899mの赤岳だ。少なくとも、最高峰の赤岳には登っておきたい。その周辺に阿弥陀岳、横岳、硫黄岳があるので、縦走できると良い。
登山口へのアクセスも重要である。単独の場合は特に、金銭面から、(タクシーではなく)路線バスを使える登山口が良い。
日程は2泊3日ぐらいが適当だろう。すると、阿弥陀岳〜赤岳〜硫黄岳の他に、北部の天狗岳にも足を伸ばせるだろう。
検討の結果、1日目は美濃戸口から入って行者小屋に泊まり、2日目は行者小屋から阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳を縦走して本沢温泉、3日目は天狗岳、黒百合平を経由して渋の湯に降りる、というルートにした。
2日目のキャンプ地は本沢温泉よりもオーレン小屋にした方が3日目が楽になるが、本沢温泉の「本邦第二の高所温泉」という説明が魅力的で、是非行っておきたいと思った。
1日目(8月23日) アプローチ
まずは鉄道(中央本線)で茅野駅(長野県)を目指す。
バスの時間の都合で、茅野駅には10時過ぎに到着しなければならない。東京の家を朝早く出発すれば鈍行でも茅野駅に10時過ぎに到着できるが、あいにく早起きが苦手だったので特急を利用することになる。京王で八王子に行き、八王子から特急スーパーあずさに乗る。平日だが指定席は満席、自由席もすでに立ち客がいて座れない。このスーパーあずさは八王子から甲府までノンストップなので、その間立ちっぱなしである。しかし甲府で結構人が降りて行ったので、甲府から先は座れた(と言ってもこの特急だと2駅だが…)。
筆者は中央本線には何回も乗ったことがあるが、茅野駅で下車するのは初めてである。駅は橋上駅舎で、改札などがある駅の2階から、隣の商業施設に連絡橋がつながっている。商業施設の1階外にあるバス停にはすでに登山者の長い列が形成されていたが、バスは増発もなく一台に全員を収容した。
バスは11時過ぎに美濃戸口に到着。さあ登山の始まりだ…と言っても、しばらくは林道を歩く。
よく林道がS字に折れ曲がっている箇所があるが、そういう場所にはショートカットする登山道がついていることがしばしばある。ここでも例に漏れず、踏み跡が道の脇に伸びていた。
12時ごろ、赤岳山荘、やまのこ村、美濃戸山荘があるあたりに到着。ここまでは自動車で来れるらしい。荷物を降ろして休憩する。荷物の重さは、出発前に測ったところ20kg程度だった。今回はたったの2泊3日なので、いつぞやの2週間近い縦走と比べれば遥かにマシな荷物の量である。
休憩中、一緒のバスに乗っていたという眼鏡のおばさんに声をかけられる。彼女も行者小屋に行くらしい。他人の顔を覚えるのは得意ではないが、行者小屋で会った際に識別できるように特徴を覚えておかなくてはならない。と言っても「眼鏡」くらいしか覚えられない。
さて、美濃戸山荘からは、北沢ルート、南沢ルートの2つが伸びている。北沢ルートは赤岳鉱泉に向かい、南沢ルートは行者小屋へ向かう。赤岳鉱泉からも行者小屋に行けるが、行者小屋に行くのであれば、南沢ルートの方がコースタイム上は近い。しかし筆者はあえて北沢経由で行者小屋に向かうことにする。
北沢ルートは途中まで林道になっているが、その林道のカーブにもショートカットする道がついている。そう思って森の中へ進んでみたが、思ったよりも踏み跡が不明瞭であった。道に迷ってしまっては元も子もないので、ここは無理にショートカットしなくても良いかもしれない。
13時40分、赤岳鉱泉に到着。今朝買ったランチパックの袋がパンパンに膨れている。この場で食べてしまう。
赤岳鉱泉から行者小屋へ行く途中には、中山展望台への分岐がある。分岐点に荷物を置いて展望台へ向かうが、あいにく雲がかかっていて稜線の展望は得られなかった。しかし行者小屋は見えた(この山行において、次の目的地が視認できるというケースは稀だった)。
14時39分に行者小屋へ到着。さっきの眼鏡のおばさんに、赤岳鉱泉を経由して来たのと驚かれる。曖昧に笑って返す。
赤岳鉱泉もそうだったが、行者小屋も携帯の電波は入らないようだ。一般に、谷間では携帯が圏外になることが多い。逆に稜線上では携帯の電波は入ることが多い。(しかしその後、大気の状態の変化か何かで、わずかに電波が入る時があった)
明日は曇り/雨の予報だという。午後から雨が降るようなら、なるべく天気が崩れない午前中に行動するという手がある。しかし、さっきの眼鏡のおばさんとの会話で、明日は午前中から雨だと聞かされる。迷うところだ。とりあえず赤岳まで行ってみて、ダメそうだったら縦走せずに引き返すか。縦走の可能性を捨てないのであれば、メインザックを背負って行くことになるが…。
今日の晩御飯(自炊)はご飯に麻婆春雨である。麻婆春雨は3人前のパックが売られているが、今日の晩御飯で1.5人前、明日の朝ごはんで残りの1.5人前を消費することにする。ご飯は多めに炊いて明日の朝の手間を省く。炊く際に水を入れすぎたが、最終的にはいい感じに炊けた。そのあと麻婆春雨を作るが、調理器具が限られているので米を一旦移さなければならない。
小屋の前のスペースでは、フライパンで肉か何かを焼いているグループがいた。山で凝った料理を作ってみるというのも楽しいのかもしれないが、残念ながら筆者は、贅沢な食材・調理器具を持って来る余裕があったら代わりに写真用の機材を持って来るタイプだ。
アルファ米を食べている人もいた。アルファ米は、お湯をかけるだけで食べられる米である。つまり、軽いし、米を炊く際の失敗がない。仮に燃料がなくなっても、水だけでも一応食べられるらしい。筆者が今回の食料を用意するにあたって何か足りないと感じていたが、今回はアルファ米を持ってこなかったのだ。去年は大学で備蓄のアルファ米(賞味期限間近)がタダで配られていたので、それを登山に持って行ったのだった。
食事も終わって、テントの中で寝袋に潜って色々と考える。
山の楽しみ方は人によって色々あると思うが、山頂からの眺めは誰にとっても大きなものを占めるだろう。悪天のためにそれが消えると、山の楽しみは半減する。もっと真面目に天気を検討するべきだった。
筆者の場合は山で星景写真を撮るのも楽しみで、わざわざ一眼レフの交換レンズに三脚、それからポータブル赤道儀まで持ってきている。星の写真を撮れないと、これらがただの死重と化してしまう。
山の楽しみが壊滅となると、計画の縮小や撤退も考えざるを得ない。今回は単独行なので、誰にも遠慮する必要はない。山はいつでもそこにあるので、再挑戦の機会を待てば良い。(ただし、「山がいつでもそこにある」からと言っていつでも登れるというわけではない。台風で登山道が通行不能になったり、火山活動の活発化で入山禁止になったりする場合があるからだ。)
夜中、雨が降ってきた。雨が止んだと思って外を見てみると星が見えていたのでカメラの準備をしたが、すぐに曇り、雨もぱらついてきた。がっかり。
2日目 八ヶ岳主要部
4時ごろ起床。もっと早く起きるつもりだったが…。すぐに食事の準備をする。ご飯は昨日炊いたものの残りを使い、昨晩と同じく麻婆春雨を作る。
外は雨が降っている。待っていても雨が止むわけではなさそうだ。5時半過ぎ、とりあえず出発することにする。テントを撤収し、メインザックを背負う。
6時半、中岳のコルに到着。この時点で、赤岳まで行って晴れないようなら撤退することを決意していた。
中岳のコルから阿弥陀岳への上りは急である。ハシゴやクサリを使う箇所もある。今日はその上、岩が濡れている。どうせ引き返す道なので、大きな荷物を中岳のコルに置いてこればよかったかもしれない。
午前7時、なんとか阿弥陀岳山頂に到着。見事に何も見えない。通りかかった他の登山者に写真を撮ってもらう。
休憩も兼ねて20分ほど滞在した後、登ってきた道を慎重に引き返す。登りよりも下りの方が神経を使う。
中岳のコルを通過し、8時ごろ中岳山頂に到着。昔この辺で遭難した人の碑がある。自分がこうならないように願いたいものだが…。
そこから赤岳山頂への登りは、岩登りに近く、大変だった。槍の穂先を思い出すが、自分が昔槍に登った時は岩は濡れていなかったし、20kgのザックを背負っていなかった。つらい。
9時過ぎ、ようやく赤岳山頂に到着。相変わらずガスっていて何も見えない。晴れていれば富士山、南アルプス、北アルプス、そして八ヶ岳連峰の他の峰々が見えるのだろう。晴れていれば。
さっき「赤岳まで行って晴れないようなら撤退」と決意したわけだが、この山頂にいる時に一瞬だけ青空が見えた。これは天気が良くなる可能性があるのか?赤岳への登りという、この日一番の難所はクリアした気がするので、計画通り進んでみるのも悪くないのではないか。
10時半過ぎ、地蔵の頭。行者小屋に戻って下山するならここから下るのだが、そのまま横岳へ向かう。
そこから少し進んだ時、右手の雲が一瞬だけ晴れて下界が見えた。野辺山あたりであろうか。ビニールハウスらしきものが多数見える。電波望遠鏡はわからない。こうやって少しでも風景が見えたということは、下山せずに縦走を選んだ甲斐があった、と言えるだろうか。
横岳周辺も岩場が多い。阿弥陀岳や赤岳ほど急ではないが、20kgのザックを背負って歩くのはやはり辛い。もし再挑戦する機会があったら、重い荷物は行者小屋なり赤岳鉱泉なりに置いて、軽いサブザックだけで来たいものである。
三叉峰の分岐を通過して、11時42分、ピークに到着。通りかかった人と「横岳ですかね?」という会話をするが、頂上にそれを示すものは何もない。
彼が地図を確認しながら言うには、ここは無名ピークで、横岳はもう一つ先だということ。果たして、もうしばらく進むと今度こそ本物の横岳山頂が現れた。おそらく、晴れていれば無名ピークからも横岳山頂が見えるので迷うことはないのだろうが、今回は視界がなかったのでそれがわからなかったのだ。(なお、下山後に確認したところ、地形図で確認できるような無名ピークは見当たらなかった。一体何を見たんだ…)
横岳からもしばらくは岩場が続いたが、しばらくすると歩きやすい道になった。横岳から30〜40分で硫黄岳山荘に到着。「休憩無料」の文字につられて、小屋の中で休むことにする。
同じ頃に硫黄岳方面からやってきた中高年のパーティー曰く、今日中に横岳に登るのは諦めたとのこと。賢明な判断だろう。
彼らはここで泊まっていくのだろうが、筆者はまだ進まなければならない(硫黄岳山荘にはテント場はない)。とは言っても、硫黄岳を超えてしまえばあとは本沢温泉まで下るだけである。そう、温泉!展望も星空も望めない今、温泉だけが楽しみで、温泉だけが心の支えである。15分ほど休んで小屋を出発する。
硫黄岳への登山道には、幾つものケルン(積み石)が設置されている。視界は悪いが、次のケルンを目指して歩けば迷うことはない。
13時半ごろ、硫黄岳山頂に到着。北東側が「爆裂火口」らしいが、相変わらずガスっているので、崖になっていること以外何もわからない。夏沢峠方面へ下る。
14時過ぎ、下りの途中で下界が見えた。雲の下まで降りたということか。見えているのは佐久平のあたりだろう。しばらく休み、写真を撮る。今回の山行で一番晴れたのはここだろう。夏沢峠の建物も見えた。
さらにもうしばらく歩いて、夏沢峠に到着。中学生か高校生と思われる一団がいた。部活ではないようだが。
本沢温泉へはもう少しだ。しかし、足にかなりの負担がきている。休憩の際に岩に腰を下ろすと足がガクガク震える。いわゆる「足が笑う」状態…いや、足は棒になるものだから、笑うのは膝(「膝が笑う」)だったかな?
15時半過ぎ、ようやく本沢温泉に到着。温泉に着く少し前に、野天風呂が上から見下ろせる地点があった。どうやら脱衣所も何もないようだ。
ちょうど同じ頃到着したパーティーは、どうやらどこかの雑誌の取材のようだ。「領収書」とかいうビジネス用語が聞こえる。秘境の温泉、とか言って女性が入浴している写真でも載せて紹介するのだろうか。結構なことだ。
テント泊が600円、野天風呂は600円、内湯は800円とのこと。内湯は無しで、野天風呂だけにする。日本最高所 (2150m) という野天風呂には入っておかなければならない。ちなみに、野天風呂に限らなければ、立山室堂(標高2400m程度)のみくりが池温泉が日本の温泉の最高所のはずだ。
野天風呂に行く前にテントを設営するが、死ぬほど疲れていたために、設営したテントの中でしばらく横たわっていた。しかし、野天風呂は暗くなる前に行ってしまわなくてはならない。その野天風呂に行くには、今降りてきた登山道を7、8分ほど登り返さなくてはならない。だるい。
17時前に野天風呂に到着。さっきの取材の人たちがいてしばらく待たされたが、その後入ることができた。ちなみにここのお湯は白濁しているので、女性が入っても首から下は見えない。
さっき「脱衣所も何もない」と書いたが、風が強いとか女性の目線があるとかでなければ特に困ることはない。…いや、靴下を履くときに砂が入るのには困った。登山靴ではなくサンダルで来ればよかったかもしれない。
18時半ごろ、ご飯を作り始める。今日は即席チーズリゾット(購入してから3年ほど経っているはずの、賞味期限切れ)と、鶏肉の缶詰(の半分)。チーズリゾットの水が多すぎたかもしれないが、そもそもどういう状態になるのが正解なのか分からない。
寝る前に、疲労と体力について考える。
去年も同じようにテントと撮影機材を担いで登山したが、その時はテント一式をキャンプ地に置き、ピークを踏んだ時はサブザックのみだった。テントを担いだ縦走は久しぶりなのだ。以前と比べて体力が低下しているのだろうか。2週間近くの縦走をこなした自分はすでに過去の人だし、そもそもその縦走だって後半はだいぶへばっていた。もっと楽な計画にするべきだった。
夜中に起きてみると、木々の隙間から星が見えた。しかしうっすらと雲がかかっており、写真に撮れるほどではないと判断し、再び眠りについた。ちなみにテント場付近は樹林帯で空は狭く、星の写真を撮るなら少し歩いて小屋の前まで行く必要がある。
3日目 強風の天狗岳
4時ごろ起床。朝食は棒ラーメン。棒ラーメンはあまり好きではないのだが。具として鶏肉の缶詰の残りを投入する。野菜が足りない。代わりになるかはわからないが、温存していた「マルチビタミン」のゼリー飲料を飲む。
今日は割と晴れている。これなら計画通り渋の湯まで行けそうか。
今日の登りは最初の天狗岳までで、後はひたすら下るだけだ。持って行く水の量は少なめにしても大丈夫だろう。今日の難所は登りの大半を占める白砂新道で、稜線に上がってしまえば天狗岳はすぐ。…そう思っていた。
6時前に出発。この日ここに泊まった人の中ではかなり出発が早かった方だと思う。日が差しているので、日焼け止めを塗ったほうが良かっただろうか。
樹林帯の中は暗い。標高が上がるにつれて、雲の中に入りつつあるのを感じた。風が吹いている。涼しいというべきか寒いというべきか。汗をかかないのはいいのだが、今日も展望は期待できないのか。
さらに上がると、雨らしきものが、横からか下からか打ち付けてくる。
7時前に「稜線まであと15分」という看板のある地点に到着。樹林帯を抜ける前に雨具を装着しておこう。
登る前は白砂新道の登りがきついのではないかと懸念していたが、意外とすんなり登れた。体が慣れてきたのか、温泉に入ったからか、荷物が軽くなったからか。
樹林帯が終わりに近づいたあたりで、樹木が不自然になぎ倒されている部分を見つけた。豪雪地帯の斜面で木の根元が曲がるのはわかるが、これはどういうことか。雪崩が起きるとこうなるのだろうか。わからない。
さらに標高が上がり、ハイマツ帯。晴れていれば佐久平が一望できたかもしれないが、完全に雲の中である。視界は10メートルか20メートル程度しかない。昨日と同じだ。結局こうなるのか。
そして7時半、ついに稜線に出る。
風!西側から強風が吹いている。遮るものは何もない、吹き曝しだ。無理をせずに引き返すべきか?本沢温泉に降りて、そのまま下山するか?
しばらく逡巡したが、進んでみることにする。もし本当にダメそうだったら……つまり、転落の危険が大きいような岩場に遭遇したら、引き返そう。計画では西天狗にも行くことにしていたが、この時点で西天狗に行くという考えは完全に消えていた。
風は強い。風速何メートルあるだろう。自分のこれまでの登山経験の中でワーストではないか。体が押されるのを感じる。身を屈めて歩く。ハイマツ帯の陰が安息の地となる。ハイマツ帯の陰を出ると、次のハイマツ帯を目指して歩く。
上下の雨具を着ているので、風が顔以外に直接当たることはない。よって、体温が下がりすぎることはないだろう。しかし、それ以前に、風にあおられて転落する危険はある。
岩の陰にしゃがんで風を避けながら、色々と考える。稜線上をある程度進んできてしまった。ここまで来てしまったら、引き返さない理由は「ここまで来たのに引き返すのは惜しい」よりも「ここから進むのも引き返すのも同様に危険なのではないか」という気持ちの方が大きい。進むも地獄、引くも地獄である。
地図ではこの先に「クサリ」と書かれている。やはり岩場があるのか。昨日の横岳のような濡れた岩場で足を滑らせたら一大事だ。しかも自分は単独なので、転落しても誰も気づかないだろう。この天気では通りかかる登山者がそもそもいるのかどうか、期待できない。
撤退を決断したその瞬間に、後ろから中年の夫婦がやってきた。道を譲るが、この夫婦、なんだか心配になる。男の方がサクサク進み、女性の方と距離が開く(この視界が悪い中、お互いを視認できない距離まで離れたらダメだろう)。女性の方はザックカバーがバタバタはためいている。
筆者「ハイマツの陰にしゃがんで(風を避けて)ザックカバーをどうにかして」
女性「あらほんと(風が避けられて楽だわ)」
そもそもこんな強風の中を進むとはどういう判断なのか。自分だったら、体力の劣る同行者がいればこんな強風の中を歩かずに撤退していただろう。
心配なので自分も進むことにする(自分よりも他人の心配とは、傲慢な若者である)。進むも地獄、引くも地獄なら、道連れが多い方が良い。
懸念していた「クサリ」の部分だが、思っていたような岩場ではなく、案外と足場がしっかりしていた。滑らないように気をつけて歩けばクリアできた。
8時6分、東天狗山頂に到着。山頂は思ったよりも広い。岩陰があって風を避けられる。当然、視界はほとんどない。
強風の中、視界のない山頂に長居しても仕方がないので、さっさと中山峠に向かって降りて行きたい。しかし、降りる登山道はどっちだ?晴れていれば迷うことはないのだろうが、今回は視界がない。登って来た道の反対側に降りて行く登山道らしきものは見えるが、それは西天狗へ向かうものではないか。
おじさん「(崖の下に向かう踏み跡らしきものを見て)ここじゃないのか」
筆者「そこは違うと思います。登山道ならもっと踏まれているはず」
コンパスも取り出してみるが、地形図に出ている登山道の角度がどのぐらい信頼できるか分からないので、決め手にはならない。
結局、おじさんが「山頂の道標が本来の方角に対して曲がっており、西天狗に向かうものと思われた登山道が実際は中山峠方面ではないか」という結論を出す。筆者もそれが一番もっともらしいと考え、ついて行くことにした。
果たしてそれが正解だったようで、登山道は順調に降っていき、黒百合と中山峠の分岐に差し掛かった。中年夫婦のパーティーも中山峠方面に向かうようだったが、筆者はこの辺でお先に失礼する。そろそろ樹林帯に入るので、これ以上強風に曝される心配はない。
9時12分、中山峠に到着。黒百合ヒュッテへは木道が伸びている。
9時18分、黒百合ヒュッテに到着。吹き曝しの中からずっと歩いてきたので、休憩する。温かい飲み物が欲しい。ホットゆず&かりんを頂く。400円。(もちろん、自分でコンロと水と粉末を持っているので、温かい飲み物が欲しければ自分で作れるのだが、あえて山小屋の世話になる)
下山後の渋の湯からのバスは、11時台の後は15時しかない。11時台のバスにはどのみち間に合わないので、下山を急いでも仕方がない。ゆっくり休みつつ、進む。
12時前、下山口が近くなったところでいくつかのパーティーとすれ違った。他の登山者とすれ違う際には、どこから来て今日の目的地はどこだとか、次の目標までどのくらいかとか、天気がどうだとかいう話をすることがある。その中でも、ここですれ違ったおばさんの発言には驚いた。
すれ違ったおばさん「昨日は晴れてたでしょう」
筆者「全然」
昨日の下界は晴れていたのだろうか?それは分からないが、そのおばさんが山の上に雲がかかっているかを見ていなかったのは間違いない。
12時16分、下山。
渋御殿湯は入浴1000円。後から気づいたが、「入浴」ではなく「休憩 2000円から」のプランにしていれば施設内で休めたのだろうか?しかし追加で千円払うのも癪なので、さっさと建物を出る。
バス停に荷物を置いて近くを散策する。橋の架け替え工事をしており、仮設の橋をバスが通れないのか、バス停は少し離れた位置に移動している。トンボがたくさんいる。隣の廃業した温泉の敷地は有料駐車場になっているらしい。
15時ちょっと前、そろそろバス停で待とうかと思ったところで、賽の河原を降りてきたという年配の男性に出会う。賽の河原は歩きづらく、もう二度と歩きたくないとか。
その男性は饒舌で、バス車内でも別の中高年の女性パーティーに語っていた。本沢温泉はメシがまずいとか(筆者は自炊なので関係ない)、天狗岳に登るならタクシーを使って桜平推奨だとか、黒百合ヒュッテのりんごアイスがいいとか。その男性は途中の明治温泉に泊まるそうで、途中で降りていった。
バスで一緒になった中高年の女性3人組のパーティーは、筆者と同じく今朝本沢温泉を出たが、天狗岳は強風でヤバイという話を(引き返してきた人から)聞いて、一旦降りてしらびそ小屋〜中山峠〜黒百合と来たんだとか(本沢温泉まで降りたのなら、中山峠を越えなくても小海方面に降りるという手があったのでは?と内心思ったが)。なんとかバスに間に合って良かったと。お昼に黒百合ヒュッテでうどんを食べてきたとか。(そういえば筆者はまだお昼ご飯を食べていない。黒百合ヒュッテに着いた時はまだお昼ご飯という時間ではなかった)
筆者は天狗岳の稜線の強風を目の当たりにしても突き進んでしまったが、話を聞くに、そこで引き返すという冷静な判断ができた登山者もいたということだ。自分が白砂新道を登った時には誰ともすれ違わなかったが、もしも「稜線は強風で歩けない」と聞かされたらどうしていただろうか。本沢温泉からそのまま下山していただろうか。計画段階で本沢温泉からの下山ルート(特に、バスの時刻等)を真面目に検討していなかったのは手抜かりだった。
そんなことを考えている間に、バスは茅野駅に到着した。
まだお昼ご飯を食べていない。この辺りは蕎麦が有名のようだが、今朝の棒ラーメンがあまりよろしくなかったため、麺ではなくごはん系のものが食べたい。駅前の商業施設のファミレスで、名物を謳うソースカツ丼950円を食す。
ご飯を食べ終わって駅に向かう。特急か、鈍行か、あるいは一部の区間で特急を使うか。
18きっぱーでもあるまいし特急を使いたい気持ちはあったが、次の2本の指定席は全て埋まっている。指定席が完売する状況で、始発駅でもないのに自由席で座れるとも思えない。行きのように途中から座れるとも考えにくい。よって、快適性のために特急券を買う意味は薄い。結局鈍行に乗る。
電車の車窓からは八ヶ岳が見える。手前に見えているのは南部の、今回登っていない峰だろう。奥の峰(赤岳とか)は頂上付近が雲に隠れているように見えた。
東京の家に帰宅したのは22時ごろとなった。
反省
今回の山行は、とにかく天気がよろしくなかった。頂上からの眺めは山の楽しみのうち多くを占めるが、それがない。夜中に星も見えない。おまけに岩が濡れて辛い。
久しぶりの登山なのに、いきなり重い荷物を担いで縦走するというのも無謀だった。稜線に立つ時はサブザック行動とするなど、もっと自分の体力に見合った計画を立てるべきだった。
行動中の判断もよろしくなかった。結果だけ見ればほぼ計画を完遂して、怪我もなく降りてこられたわけだが、だからと言って行動中の判断が適切だったことにはならない。赤岳に登った段階でさっさと下山するべきだったし、天狗岳の稜線に出た段階で引き返すべきだった。筆者は「終わりよければすべてよし」とはしないタイプなので、釈然としない。
再チャレンジする際に気をつけるべきことは何か。まず、(既に書いた)今度来る時はサブザックで峰々を巡りたい。この山域でメインザックを背負った縦走はもうたくさんだ。また、行動中止の心理的障壁を最小限にするため、晴れなかった場合に下界で楽しめるPlan Bを用意しておくと良いかもしれない。
そんなこんなであまり良い登山とは言えなかったので、今年のうちにもう一回くらい泊まりの山に行きたい(と思いつつ、これを書いているのは既に9月中旬である)。
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